Episode 2

新素材グラファイトとの出会い。ラミグラスでの格闘の日々

残念ながらゲイリー・ルーミスは、最初にグラファイト素材のフィッシング・ロッドを作った人物ではない。しかし、ゲイリーは、グラファイト・ロッドを普及させていく段階において、極めて重要な役割を担ったのであった。以下は当時を振り返るゲイリーの言葉である。

1973年、シカゴで開催されたAFTMAショーで、ライバル会社が世界に先駆けグラファイト・ロッドをリリースしたんだ。プロトタイプを一目見て「これだ!」と思ったよ。シビれたね。そのロッドは今まで見てきたどのロッドよりも軽くて、張りがあって、高感度だったんだ。瞬間的に悟ったよ、ラミグラスが進むべき方向はこっちだってね(当時ゲイリーはラミグラスに勤務)。でも、オーナーから賛同は得られなかった。だから、世の中の良き従業員と同じように、私は、反対意見を受け入れずに、どうしたらその新素材をモノに出来るのか探求を始めた。最初の研究開発費はわずか250ドルだった。瞬間的に無くなってしまったけどね。だから、ラミグラスをまた説得したよ、これは会社として追求するに相応しいベンチャーだと。結果、予算は5000ドルまで増えた。でも同時に翌年のAFTMAショーに6本のグラファイト・ロッドを出展するはめになったけど。これが最初のハードルだった。

私はまずシアトルの図書館に行き、その新素材について書かれた文献を探した。見つかったのはたった一つだけ。それも、かなり曖昧なもので、ただボーイング社の関与をほのめかすものだった。そこで、私は、ボーイング社の従業員通用口に行き、出入りしている全ての従業員に尋ねたんだ「誰かグラファイトという素材について知っている人はいませんか?もしくは、知り合いにそういう人はいませんか?」とね。結局、何も手がかりが得られないまま最初の一日が過ぎた。次の日もまた同じようにその通用口に立っていると、一人の男が近寄ってきて「君は昨日もここにいたよね?」と言うんだ。そこで「そうだよ。この調子でいくと明日もここに立つつもりさ」と答えた。そしたら、その男は私にこう言うんだ「エンジニア達の多くが使う別の通用口があるからそっちに行ってみるといいよ」とね。早速、その通用口に行ってみた。そこで、ハリー・マティソンという一人の紳士に出会ったんだ。彼は当時世界に4人しかいなかったコンポジット・エンジニアの1人だったんだ。その彼がグラファイトという素材について話をしてくれることになった。

私は、まず彼をディナーに誘った。そして、朝食に誘った。さらに、ランチにも誘った。グラファイト製ロッドをデザインするための支援を取り付けるまで、こんな日が数日続いた。最終的に彼は他のエンジニアも巻き込み、我々は開発を始めた。当時、グラファイトは航空機のウィングにのみ利用されている極めて特別な素材だった。その設計には、ディフレクション・コードと呼ばれる設計値が利用されていた。このディフレクション・コードにより、試作品を都度作ることなく、コンピュータ上でフレックス特性を見極めることが出来た。だから、まずはこの基礎データを集めることから始めた。試行錯誤は6ヶ月に及んだ。そして、我々は、32モデルを作り出した。残念なことに、それらのロッドは、私がかつてAFTMAショーで見た他社のグラファイト・ロッドほど軽くはなかった。また、フィーリングもいまひとつだった。その競合のグラファイト・ロッドは、同じ長さ、同じパワーのグラスロッドに比べて1/6の軽さであったが、我々のロッドは1/3にとどまった。当時の私は知らなかったのだが、実は、この時、その競合他社は、ブランクの強度に大きな問題を抱えていた。結果として、ディフレクション・コードを得るために費やした我々の時間と労力は、その後のゲームを優位に進めるための大きな武器になっていた。

我々のグラファイト製ロッドは、競合のロッドほど軽くはなかった。しかし、強度は優っていた。当時、その競合他社が抱えていた問題は、コンポジット・エンジニアをデザイン・フェーズに巻き込んでいなかったこと、そして、グラファイトはグラスの半分以下の強度しかない、という事実に気付いていなかったことだった。つまり、そのライバル会社は、ロッドの重量を1/6にしたが、同時に強度を1/12にしていたのであった。

当時、その競合他社は、釣り具業界における神的な存在であった。が故に、その強度問題は業界全体に大きな影響を与えていたのだった。当然の如く、我々は苦戦した。だから、グラファイト・ロッドをリリースした最初の年は、ロッドを売ろうとはしなかった。ロッドではなくグラファイトという素材を売ることに専念した。

展示会においても我々は、何はともあれロッドの強度をデモする必要があった。このために、私は、ちょっとした来場者参加型のコンテストを計画した。それは、6インチ四方のボックスを作り、その中に5ポンドの鉛を入れ、そのボックスを9フィート、8番ラインのフライロッドでリフトアップし、ボックスの中のオモリの重さを当てる、というものだった。賞品はそのロッドとリールのセットだった。

水曜日から日曜日まで、合計800名以上の挑戦を受けた。そのうち80%近くの人は、ボックスをピクリと動かすことさえ出来なかった。20%の人は、何とか持ち上げることが出来た。そして、1%未満の人だけがリフトアップすることが出来た。ショーも終盤となった日曜日の午後、一人の体の大きな紳士が我々のブースにやって来た。私は彼に例のロッドを見せた。そして、リフトアップにチャレンジするよう促した。彼はロッドに触れ、それを私に戻しながら「いいロッドだ」と言った。私は言った「そのボックスをこのロッドで持ち上げてみて下さい」と。すると彼はこう返して来た「無意味にロッドを折りたくないんだ」と。そこで、私は彼に言った「そのロッドは垂直方向で8ポンドまでの負荷に耐えることが出来ます」と。すると、彼は聞き返してきた「垂直方向にか?」と。そこで私は「えぇ、垂直方向です」と答えた。そして再び彼にチャレンジするよう促した。ちょうどその時、私達の周りには、300人あまりの人々がいた。実は、その時、私はその人物が誰だったのか知らなかった。彼は最初そのボックスを持ち上げるのに苦戦していたが、渾身の力をこめた時、それは宙に浮いた。結果、地面から5フィートまでリフトアップすることが出来た。ボックスが地面から離れる時、彼は大きな声で叫んだんだ「一体このロッドはどうなっているんだ!」とね。

あとで知ったことだが、その紳士は、私の少年時代のあこがれ、名球会入りした、かのテッド・ウィリアムスだったんだ。結局、テッドは、その年に13本のロッドを買ってくれたよ。

素材の特性を十分に理解した上で、デザインすれば、グラファイトでも十分な強度を得ることが出来る、これがわかったんだ。こうしてラミグラスは、カーボン・コンポジットと構造力学のエキスパートを巻き込むことにより、実用強度を備えたグラファイト・ロッドを製造する世界で最初のメーカーになったんだ。

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