Episode 1

ロッド作りを始めた理由

1964年、スチールヘッドが遡上するワシントン州のとある川辺で偶然起こった小さな出来事がゲイリー・ルーミスをロッド作りの世界へ導いて行くことになる。

アメリカ海軍を退役したばかりのゲイリーは、その年の5月、お気に入りの川でスチールヘッドのランを狙っていた。当初、ゲイリーは、冬用のタックルで、順調に釣果を上げていた。しかし、季節が進行し、夏の遡上が終焉を迎えつつある中、ゲイリーは、ある一つの変化に気付いていた。それは、冬のタックルの効力が次第に下がりつつあることだった。機械工作に長年携わって来た経験から、彼には、より多くの成果を得るには、より良い道具が必要であること、そのためには、まず、どの様な道具が必要なのか、それが理解出来ていることが重要、とわかっていた。以下は当時を振り返るゲイリーの言葉である。

5月になって水位が下がり始めると、スチールヘッドは、なお同じ場所にいるもののバイトして来なくなった。そこで、私は、プレゼンテーションを変えてみることにした。具体的には、ライトラインを使うことだった。ラインを細くすればするほど、確実にバイトは増えた。しかし、6ポンドまで細くすると、バイトこそ得られるもののブレイクが途端に増えた。私はこの問題を様々な角度から考えた。そして、一つの結論に至った。それは、あのスチールヘッド特有のロケットダッシュがブレイクの原因ではなく、首振りが原因ではないか、と言うものだった。そこで、もし、フライロッドの様なしなやかなショック吸収性に優れたロッドがあれば、ライトラインであっても魚が捕れるのではないか、と考えたのだった。

そこで、早速、地元のタックルストアに行き、グラスファイバー製の7番用フライロッドを購入した。それにバッドセクションを補強し、リールシート、グリップを取り付け、さらに、ガイドも交換した。これで、6ポンドラインでも躊躇なく扱える10フィート半のスピニング・ロッドが出来た。この成果は明らかだった。

それから暫くして、さらに川の水位は下がり、透明度も増し、スチールヘッドはますます口を使わなくなった。私は、4ポンドラインの必要性さえ感じ始めていた。問題は、7番用のフライロッドは4ポンドラインを扱うにはパワフル過ぎたことだった。そこで、私は、再び例のタックルストアに行き、今度は、4番/5番ライン用のフライロッドを購入した。晩夏を迎える頃、私は、その川で唯一スチールヘッドを釣るアングラーになっていた。しかも、一日1尾とかではなく、4尾から5尾を釣り上げていた。この圧倒的な釣果は次第に噂となって広まって行った。

ある夕方、いつものように川から上がり車に向って歩いていると、一人のロコ・アングラーが近寄ってきた。そして、こう尋ねてきた「なぜ、お前だけ釣れているんだ?他の誰も釣れていないのに」と。そこで、私は、彼にタックルを見せた。でも、彼はそれを間近に見ても最初は信じようとはしなかった。だから言った「知っているよ、ここのところずっとオレのことを見ていたのをね。勿論、スチールを釣り上げたところも見ていたよね。で、今、君はオレのタックルを見ている。にも関わらず、それを信じようとしないのかい?」と。渋々彼は納得した。そうしたら今度はこう言うんだ「そのロッドは何処に行ったら買えるんだ」と。だから言ったんだ「これは自分で作ったのさ」と。そうしたら今度は「そのロッドを100ドルで売ってくれ」と言うのさ。実におかしかったね。何故って、当時の私の給料は週に97.20ドルだったからさ。私が1週間働いて稼げる以上の金額を彼はオファーして来たんだ。でも、私はこう言ったんだ「ノー」とね。なぜならそれはそもそも売り物じゃないからね。そしたらさらに50ドル上乗せしてきた。再び「ノー」と言ったよ。で、最終的に彼は200ドルを提示してきたんだ。さすがに売ったよ。そして、その足で例のタックルストアに行き、また同じフライロッドを買ったんだ。そして、その晩、前と同じようなカスタマイズを施したんだ。で、次の日、また釣り場に行くと、今度は別の男が現れてこう言うんだ「そのロッドを売ってくれ」てね。だからまた200ドルで売ったんだ。家に帰ってからこの話を妻にしたのさ、どうやってわずか2日で4週間分を稼いだかをね。これが私のロッド・ビジネスの始まりかな。

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